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何かを選択するということは何かを選択しないということ。

2015.04.10

生まれ。

僕が生まれ、育ったのは京都府の北にある宮津市という場所。

正式にいうと、小学校2年生で市内から引越しをして、田舎のおじいちゃんおばあちゃんと一緒に住み始めてから。約10年住んでた場所です。有名な名所は日本三景の天橋立があります。

天橋立

本当に日本海の素晴らしい海と小高い山に囲まれ、自然豊かな土地で育ちました。

小学校、中学校は日置中学校という小さな学校で、僕がいた時も中学校は全校生徒が30人に達してなくて、つい2年前に中学校が休講となりました。なんか、すごい喪失感にかられていますが、いつか絶対、いい形で復活させてやると企んでいます。
 

育ち。

小2の時に北部に来てから、小さい時に持ってた持病の喘息がとても良くなって、外でも遊べるようになりました。今でも覚えていますが、今まで全力で走ったり、全力で遊んだりすることができなかった分を吐き出すように暴れまわりました。いつもいつも、どこかに怪我をして帰って、親に「あんたはホンマにそそっかしいね」といつもいわれていました。(今でもそそっかしい感じはある。)

特に冬が大好きで、僕の小学生の頃は多い時で1メートルくらいの雪が降っていたので、雪が降ったらいつも外行って雪合戦。遠くの木に雪玉当てるプロになりました。

カルスト

あとは小学校の時に先生が「けん玉検定」というのをやってくれていて、毎朝けん玉の級をあげるために奮闘していたのが懐かしいです。

中高はずっと野球と勉強してたな〜となんだかんだ小学生の時期が一番楽しかったと思います。

特に高校生の時の僕は自分から何かを主張するのが怖くて、人に合わせてきたことが大半だと思います。だから、高校時代が楽しかったかと言われるとどちらかというと辛かったし、大変でした。

それは毎朝自転車で約40〜50分のところに高校があったということも起因しているかもしれません。

ほんとなんで〜しないといけないのかっていう感情を失ってました。

旅立ち。

足摺岬

大学進学する際、高校生の時の自分を思い出したくないというような感じで、県外、近畿から出たいって想いがすごくあったと思います。親にも、いろんなところ行ってみたいからとか言ってたけど、自分の人生をリセットしたいという気持ちが一番強かったのかもしれないなと今では思います。

大学へ入学した時、いわゆる大学デビューをしました。集団の中で目立とうとしない僕が、集団の中で必死に目立とうとしました。女の子とうまく接せれない自分がうまく接するために頑張りました。結果、めっちゃたくさんの人とつながって、たくさんの友達?知り合い?ができました。

2年生になってからも、サークルの部長をやったり、飲み会隊長したり、ボーリングのプロ目指したり、アホなこともたくさんやりました。同級生や後輩には知り合いじゃない人の方が少ないんではないかってぐらい繋がりが増えました。でも、心の中の僕はずっと孤独だった気がします。

自分自身が何を感じ、何をしたいのかを話す機会がなかったからなのか。友達と思っている人たちは、ふとした瞬間に敵に変わる気がして怖かったです。

今でも、大学生の時代に本当に「友達」と言える人は 5人だけしか思い浮かばないです。この数字が少ないかどうかは人それぞれの感じ方次第ですね。

旅先。

KMC

そんな僕も大学3年生でとても良い出会いに恵まれ、東日本大震災の復興のお手伝いに行かせていただくことになりました。

NPO法人底上げ

この団体は一生僕の中で目標であり、一生僕の存在を肯定してくれる場所だと思っています。

仮設に住む子どもや被災を受けてしまったたくさんの子どもたちの居場所作りとしての「学習支援活動」を僕は中心にやらせてもらっていました。教員を目指す僕に対してはとても良い経験となったし、自分の中にあった教育に対する固定概念が崩れた機会でもありました。

 

小学校から教員目指してて、教育実習行ってから教員になるのやめた理由

こちらの記事でも詳しく書いていますが、教員という道を進むのを辞めるきっかけになったのもこの時の経験があります。

東北での活動の経験は僕の現在を作り上げてるとても大きな要素です。日本の地域における課題がぎゅ〜っと集約されているのがこの場所であると感じます。東北で現在もまだ起きている様々な課題は今後の日本が抱えるであろう課題と同等なものだということです。
 

帰国。

東北での活動を終えて、高知に帰り大学へ戻った時、正直面白くなかったし、自分のいる意味がよくわからなくなりました。僕は何のために勉強をして、この大学に通って、今の友達とつるんでるんだろうかと考えました。
 

僕は僕の道を見つけるために今ここにいるんだ。

これを思えるまでに約半年かかりました。悩んで、悩んで、日々が淡々と過ぎていくように感じていました。何かしないとって気持ちに追われ続けていたのかもしれません。でも、僕はその時、その何かを見つけることができませんでした。
 

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でも、そんな時に「とりあえず、やりたいこと、好きな事やればいいじゃないか?ちっちゃなことでもやっていくことが大切だよ」と教えてくれたかっこいい大人たちがいました。

その大人たちが言ってくれた言葉はあの時の僕には本当に救いの手を差し伸べられたような気持ちになりましたし、「今」を一生懸命生きようと心に決めました。

選択。

出発

残りの大学4年生の1年間は本当にやりたいことをやってきました。就職活動をしている同級生の傍、僕は地域の活動にいってました。卒業研究をしている同級生の傍、僕はイベントを開く準備をしていました。教員採用試験を受けようと勉強している同級生の傍、僕は会いたい人に会いに日本中を飛び回っていました。

ある僕のとても尊敬する人がこんな言葉を言っていました。
 

何かを選択するということは何かを選択しないということだ。

僕の心にはこの言葉がずっと残っていました。僕は就活よりも今したい活動だし、研究よりも今やりたいイベントだし、試験よりも今会いたい人だっただけなんです。

全ては選択で成り立っています。ほんとに人生何が起こるかわからないし、何かが起こってからしか何もわからないんです。

もちろん、それをうまく誘導して何かに向かうことができるかもしれませんし、そうしているよという人はいるかもしれません。でも、僕は残念ながらそんな器用な能力を持ち合わせていないし、そんな能力欲しいとも思いません。

現に僕は3月20日頃まで何の仕事するか決まっていなかった(正式にいうと3つぐらい話はあったけど断った。)し、今みたいな仕事をすることなんて、その決まった日まで考えてもみなかった。でも、それが自分のライフスタイルに合っていると思うし、今はそのことにのめり込んで毎日夜の遅い時間まで仕事しても全然苦じゃない。それは仕事というライフスタイルの1ピースにすぎないものだということを理解しているし、その1ピースはどれだけ大きなものにできるかは僕の手に委ねられているということが最大のモチベーションなんだと思います。
 

まとめ

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矢野大地(高知大学2015卒)

京都府宮津市出身、23歳。

2012年から2013年にかけて、東日本大震災支援のため大学を1年間休学しNPOのインターンとして活動。仮設住宅に住む子どもたちの居場所づくりなどの活動をおこなう。高知へ帰ってからは地域コミュニティのあり方を見直すため、地域活動に積極的に参加し、昨年4月からお茶っこ屋という一軒家をシェアハウスしながら、地域の方と大学生をつなげる拠点としている。現在は高知県の北部に位置する嶺北地区の限界集落にて、耕作放棄地を開墾し新しく生まれ変わらせるプロジェクトの資金調達を行っている。また、卒業した今は自由人としてプロブロガー イケダハヤトの元でweb編集等の仕事をしながら高知県内を駆け回っている。

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矢野 大地 (やの だいち)


NPO法人ひとまき代表理事・猟師・企画デザイナー
月間4万人の人に読まれるブログ「ジムニーに乗ったサル」を運営。
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